IBMA極真会館 岡山県本部  空手道講座








武道の定義

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武道の定義 スポーツとの違いは?

例えば、「テニスとは?」と尋ねられれば、「コート中央に張られたネットを挟んで、ラケットでボールを交互に打ち合う競技」と答えれば、ほぼ間違いありません。では「空手道とは、どんなものですか?」と問われて、「コートの中で、素手による突きや蹴りで互いが身体を打突し合う競技。」と答える人は余りいません。つまり、武道=競技ではないということです。

日本武道協議会が提唱する武道の定義を要約すると「我が国で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化」、「心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、社会の平和と繁栄に寄与する人間形成の道」と定められています。
武道の「武」という文字は矛を止めるという意味。「道」とは宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範を意味する言葉で、果てしなく続くという意味もあります。つまり、『武道』というのは、身を守る術を修める中で意識すべき道徳的な規範ということになります。



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[ 2016/05/25 16:18 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)

空手道の「空」

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空手道の「空」
  ~般若心経の概念~
空手は昔の沖縄では手(て、ティー)もしくは唐手(からて、とうで)と呼ばれていいました。

本土に空手を伝えた、船越義珍師範が「徒手空拳で身を守る」武術としての心を象徴すると共に、般若心経の「色即是空」の思想を重ねて改めたと言われています。

般若心経では、「色とは目に見えるもの」「空とは目には見えないもの」つまり、この世に存在するもの全て、本当は何も無いと説いています。

何をしても無駄というネガティブな言葉ではなく人には無限の可能性があるという解釈になるようです。

道場では強くなりたい、試合に勝ちたい、昇級したいという目標を達成するための過程で、多くの人と出会い、仲間と協力したり、ライバルとして競い合いながら様々なことを学びます。

「空手道」という名称には、「人には無限の可能性がある、それを信じて、無心で真剣に打ち込めば道は必ずひらける」という思いが込められているようです。


●追記…

宇宙(そら)の約束 (「般若心経」山元加津子 心訳)



確かに確かに座っている  大きな宇宙の約束が  いつもいつもささやいている

いつかいい日の明日のために   いつもいつもささやいている

忘れないでね 大切なのは 心の目と 心の耳をすますこと  そして 自分を信じること


むかしむかしのことでした  心の目と心の耳をすましたある人が

宇宙の約束とつながって  本当のことに気がついた


すべてのものは  どれもみんな  その約束からできている

約束は 目にも見えず 重さもなくて  あるのかないのか  わからないけど

でも 宇宙(そら)の何もかもが  この約束からできている

「いいことに気がついちゃった」と  その人は

苦しまなくていいんだなあ 悩まなくてもいいんだなあ

とても嬉しくなりました

宇宙に散らばっている  たくさんのつぶつぶは  約束のもとに集まって

海を作り  山を作り  花を作り  人を作る

約束は目にも見えず 重さも持っていないけど

風をそよがせ  雨を降らせ  ときには星を輝かせる

誰かと誰かを出会わせて  誰かと何かを出会わせて  涙や笑顔を作り出す

私とあなた  あなたとお花  お花と石ころ  みんな同じ

同じもので できている


違うのは  だれもが持ってる約束の  私が私である場所(とこ)や

花が花である場所(とこ)に  光があたっただけのこと  スイッチが入っただけのこと

あなたは  私だったかもしれないし  私は もしかしたら

庭に咲くたんぽぽや  降る雪だったかもしれないね


約束は私をつくり  私の中に宇宙の約束が座っている

すべてのものが 約束の中にあり  約束は すべてのものの中にある

でもね  忘れちゃいけないの

約束には無駄がなく  必要なものだけを  いつもちゃんと作ってる


花がそこに咲くことは  それが大切だという証(あかし)

私がここにあることは  それが必要だという証(あかし)

宇宙(そら)の約束とつながって

過去と今  今と未来

すべてのことを見渡すことができたとき

きっときっとわかること


すべてのことは いつもいつも  いつかのいい日のためにある


うれしいことも悲しいことも  きれいなことも  汚れたことも

増えることも 減ることも  その約束の現れだけど

現れているすべてのことが  いつかいい日のためにある

だから思うの  生きていると  いろんなことがあるけれど

楽しいことも 苦しいことも  悲しいことも うれしいことも

雨や 雪や 月の光が 空から降ってくるように

手を広げて 受けとめていけばいいんだね


怖がらなくてもいいんだよ  悲しまなくてもいいんだよ


だって すべてがだいじょうぶ  すべてが みんなだいじょうぶ

揺れる 歌う 踊る 祈る…跳ねる  描く  回る  思う……

約束と つながっていく方法は  いつも私の中にある


揺れて踊って 飛んで思って  心の目と 心の耳が開いてく

そして 本当のことを知る  さあ 明日へ歩きだそう

大切なことは  心の目と 心の耳をすますこと

そして 自分を信じること


花が咲くように 雪が舞うように  月が照るように あなたといたい

鳥が飛ぶように 風が吹くように  海が歌うように あなたといたい

広い宇宙(そら)の中で 長い時間の中で  あなたと出会えたこと

きっときっと宝物

星があるように 山があるように  空があるように あなたといたい

自分の身体のその奥に

[ 2013/11/07 16:13 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)

道場

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道場
 
~心身の鍛錬を行う神聖な場~
道場とは「空手道場」「剣道場」というように一般的には、日本武術・武道における稽古、練習を行う場のことを指し、広くは心身の鍛錬を行う場という意味が含まれます。

本格的な道場では師範が弟子の稽古を総見する床があり、「剣の神、武の神」とされた「鹿島大明神」、「香取大明神」の二柱の神名を書いた掛軸が掛けてあります。

近年では、体育館などの施設を借りて稽古している団体も多く、神棚などが無いため、上座と下座の観念が曖昧になり、神聖な場としての感覚が薄くなっているようです。

何故神聖なのかというと、道場という言葉の起源は、お釈迦様が悟りを開いた場を指し、やがて、念仏修行の場という意味に変わってきたという歴史的背景があるからです。

仏教の修行と重ねて、弱い自分の心を武道の稽古を通じて克服するという精神的な意味が「道場」という言葉に込められているのでしょう。
[ 2013/11/06 15:23 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)

残心

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 残心
 
~心の表現~
『残心』とは技を終えた瞬間に余韻(持続性)を持たせ、一つの技を行う前・行っている最中・終えた後も引き続き一貫して維持されるべき精神状態を体現したものです。

武道では、技を決めた後も心身ともに油断をしない状態のことを表し、相手の反撃に瞬時に対応する準備と、更なる攻撃を加える準備を伴った、身構えと気(心)構えです。

たとえ相手が完全に戦闘力を失ったかのように見えてもそれは擬態である可能性もあり、隙を突いて反撃が来ることも有り得えるからです。

競技試合において勝った事を喜ぶ様(ガッツポーズなど)が見受けられれば、奢り高ぶっている、或いは油断しているとされ、『残心』が無いとみなされるのです。




[ 2012/10/22 15:00 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)

鍛錬

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鍛練
 ~千日の稽古を「鍛」とし万日の稽古を「練」とす~
「鍛練」という言葉には、鍛えて体を硬くするようなイメージがあるようですが、実際は柔らかく粘り強くするという意味になります。

宮本武蔵は著書(五輪書)の中で、「鍛練とは全身を意のままに動かせるようにすることが目的。」…と言っています。

「練る」という言葉には「人格を練る」や「技を練る」という用法がありますが、もともとは粘り強くするという意味で、硬いものを一度柔らかくすることを通して、しなやかな強さを出すための手法です。

伝統型であれば、ただ動いていれば稽古になるというものではなく、同じ動作の繰り返しの中で目的意識を強く持ち継続して行うことが大切です。

動作中は、自分の「心や体」がどうなっているかを感じるようにします。

また、相手がいる組手稽古なら、自分と相手との距離(間合い)や体勢や心理がどのようになっているかを感じながら行うようにします。

つまり鍛練とは、何も考えずに言われたことをただ繰り返すという作業ではなく、自分の頭と感覚を使って一回一回工夫しながら、実行、検証し続けるという強い意志と行動力という意味が含まれているのです。




[ 2012/08/28 14:52 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)

気合

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気合い
  ~意思と力と技をあわせる~
気合とは、精神を集中させて事に当たるときの心の勢い。また、そのときの掛け声といわれます。

一般的には、大きな声=気合といわれますが、本来は、全身に気力を満たし、油断や邪念がないことをいいます。

つまり、全身に充実した気力と心とが一致した状態であり、隙がない状態のことです。

但し、大きな声を出すことにまったく意味がないと言う訳ではありません。

人間は身体の能力の30%くらいしか使っていないといわれていますが、これは100%の能力で動くと筋などがすぐに壊れてしまうからで、その前に精神的にストッパーがかかるようになっているそうです。

このストッパーが外れた状態が「火事場のばか力」と言われるもので、実験によると、外部からの(例えば電気的な)刺激や大声を出すことによって、このストッパーがかかるのを引き上げる事が出来るそうです。

つまり、「潜在した力」を引き出すための訓練方法の1つが、「声をだす」ことだと言えます。

かけ声を出すことで、内に充実した気勢が増し、打撃にも勢いが加わります。

上級者は、有声によるかけ声とあわせて、無声でも意思と心と体が一致するよう修練していきましょう。




[ 2012/08/08 15:46 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)

稽古

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稽古
  ~古(いにしえ)を考え今に照らす~
稽古とは『古(いにしえ)を考え今に活かす』という意味です。

つまり先人の教えを守りながら研究工夫するということです。

初心者のうちは先生や先輩の指導を守って数を重ねる事が必要です。

最初は窮屈と感じますが、やがて自分にあった技を発見し、心構えや精神面の充実といった向上を実感することができます。

上級者や有段者になれば、自分の技術や稽古の仕方などについて自然に問題が湧き起こってきますから考え、工夫せざるを得なくなります。

この頃には、ただ考えるだけでは上達しないし、漠然と数を重ねたるだけでも進歩は望めません。

「トレーニング・練習」が個人的な実力の向上だけをさすのに対して稽古とは、「先人から受け継いできた教えを通して自分を磨き、それを後生に伝える」という精神性を含んだ用語だといえるでしよう。




[ 2012/08/03 13:48 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)

正座

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正座
  ~居住まいを正す~
正座は、身体にとって自然な姿勢ではありません。

世界的な分布を見ても決して普遍的な座法ではなく、日本に特徴的な座法です。

歴史的に見ても正座が一般の生活に普及したのは江戸時代とされています。

こうした非自然的な座り方が技として身についていたという事実は、背景に強力な躾があったことが伺えます。

正座は、「居ずまいを正す」という感覚(心構え)と結びついています。

この姿勢は、自分自身の身心を律する心構えであると同時に、他者に対する礼儀正しさを表現する意味を持っています。

躾は身を美しくすると書きますが、正座の訓練は文字通りの躾であったといえます。

尚、座礼を行なう時の手のつき方は右手(利き手)温存(遅れて出す)の心得とされています。

少年部で、正座が出来ない生徒は上達も遅いようです。 心構えが姿勢に現れるということなのでしょう。




[ 2012/07/24 12:48 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)

押忍


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 押忍
~自身の未熟と不当な暴力を抑える~
道場で私たちが返事や挨拶に使っている「押忍」という言葉は「押」と「忍」の二つの文字でできています。

忍は刃に心と書きます。

空手家の技は刃と一緒です。

刀は武器にもなりますが、凶器にもなります。

刃は本当に必要な時以外は「心」という鞘に収めるという意味で「忍」と書きます。

その「技」と「心」で自分の未熟さと他者の暴力を押さえるという意味が「押忍」という言葉には集約されています。

自分自身の未熟を戒め、仲間を護る護身の術が武道であり「押忍」という言葉には武道の精神そのものが集約されています。





[ 2012/07/18 14:51 ] 空手道講座 | TB(0) | CM(0)